映画感想

映画

「サーミの血」の映画感想です。

サーミの血(2017年)

1時間47分

1930年代、スウェーデン北部のラップランドで暮らす先住民族、サーミ人の少女エレ・マリャが主人公の映画です。

ストーリーを追いながらこの映画を観ていきましょう。これ以降は本編の詳細な内容を含みます。映画の本編を観た後に閲覧されることを推奨します。また、映画を観るつもりはないけど感想だけ読んでみたいなという方にもストーリーが理解できるように書いているので、そういった方にも楽しく読んでもらうことができると思います。

この映画はアマゾンプライムでプライム会員なら無料で視聴することができます。

 

 

 

 

 

 

冒頭、老女が妹の葬式に出席するために息子と孫娘を連れて車で移動している場面からスタートします。

「あの人たちは物盗りだし嘘つき。口を開けば文句や愚痴ばかり」と、文句や愚痴を言ってるのはお前やないかーいとツッコミを入れたくなる会話をしながら葬儀会場に到着します。亡くなった妹とは疎遠だったようで、葬儀会場に居合わせた親族や友人からは白い目で見られ、また老女自身も友好的な態度をとる気はない様子。息子や孫娘が彼らの伝統文化に触れる場面になると露骨に嫌そうにして早く帰るように言ってその場を立ち去ってしまう始末。

場面は変わって娘時代の回想に入ります。

1930年代のラップランド。そこで主人公エレ・マリャが妹のニェンナと母と祖父母と共にトナカイを放牧して暮らすサーミ人の伝統的な生活を送っていました。父親は既に亡くなっている様子。クリスマスまでの間寄宿学校で勉強する為に山を下りていきます。

出発前、祖父が主人公エレマリャに「戻ってくるよな?」と確認します。エレマリャはきょとんとした表情で「もちろん」と答えます。この時点では彼女の中に映画の結末に繋がる選択肢は考えてもいなかったんだということがわかります…。

(この時の妹と二人で移動していく際の景色が美しすぎてたまりません)

寄宿学校での生活の場面では、学校の近くの舟を作る小さな作業所のスウェーデン人から差別的な言葉を投げかけられる場面があるのに、主人公エレマリャは遠くからその人たちが川で泳いではしゃいでいる様子をじっと眺めているなど、主人公エレマリャが彼らに対して憧れの気持ちを持っている描写が所々に見られます。

またエレマリャは寄宿学校での成績も優秀で、スウェーデン語を流暢に話すことができました。

スウェーデン人のクリスティーナ・ライレル先生もそんな成績優秀なエレマリャのことがお気に入りのようでした。エレマリャも先生のことが好きなようで、先生の部屋を外から伺ったりする様子があったり、先生になるにはどうすればいいのかとクリスティーナ先生に質問する場面もありました。

しかしエレマリャに試練が訪れます。以前から先生に聞いていた「お客さま」が来た日のことです。

お客さまの為に、寄宿学校で勉強するサーミ人の生徒の皆で、サーミ人の伝統的な道具をプレゼントとして用意して手厚く出迎えました。スウェーデン語でお客さまに挨拶する役目を任されたエレマリャは、きっと鼻高々で誇らしい気分だったでしょうね。

でもお客さまはエレマリャたちを人として扱いませんでした。お客さまたちはサーミ人の身体的特徴を調査する為にやってきた学者、あるいは役人だったのです。

エレマリャたちに何の説明もしないまま、嫌がるエレマリャの服を脱がせて皆の見ている前で裸にして写真を撮り始めたのです。他の生徒も同様に裸にされて写真を撮られました。

最悪な時間が終わった後、いつものように通りかかった舟の作業場のスウェーデン人の青年たちの差別的な言葉を、普段なら無視するところを今日だけは腹に据えかね、エレマリャは青年の一人に掴みかかっていきました。しかし返り討ちに合い、複数の青年たちに抑え込まれ左耳の一部を切り取られてしまいます。自分がトナカイに印をつけるみたいに、自分の耳も欠けてしまったのです。

この日の出来事はまるで自分が人間ではなく、家畜や動物になってしまったような気持ちにさせたことでしょう。

傷ついた気持ちを抱えたまま、エレマリャは近くでパーティが行われていることを知ります。妹の静止を振り切り、クリスティーナ先生の洗濯物の花柄のワンピースを持ち出し、パーティに向かいます。サーミ人の伝統的な服コルトを脱ぎ去り、ワンピースに身を包み、エレマリャはスウェーデン人のふりをしてパーティに潜り込みます。そこで出会った青年ニクラスとのひと時は、きっとサーミ人としての差別や欠けた耳のことなんか忘れてしまうくらいの出来事だったでしょう。時が止まったかのような、印象的な場面でした。エレマリャはニクラスとスウェーデン語で会話し、自分の名前を「クリスティーナ」と伝えます。先生の名前を拝借したんですね。

でも妹が寄宿学校の大人を連れて探しに来てしまい、パーティから連れ戻されてしまいます。

パーティに探しに来た妹に対してエレマリャはニクラスや他の周囲のスウェーデン人から自分がサーミ人だとバレたくないが為に酷い言葉を投げかけてしまいました。妹はそれっきりエレマリャに対して冷たい態度を取ることになります。

エレマリャは夜中に妹に「寝たふりしないで。」と話しかけますが、妹は答えてくれません。

「私はここにはいられない…」と言っていることから、既に自分の取る行動を決めていた様子に見えました。

しかしまずは正攻法で、クリスティーナ先生に進学したいことを伝えます。自分は成績も優秀で、推薦状があれば進学できるのではないかと思ってのことでした。

しかし好きだったはずのクリスティーナ先生からの返答は取り付く島もないものでした。「サーミ人はスウェーデン人より劣っている。」「あなたたちの脳は文明に対応できないわ」と、サーミ人であることを理由に進学はできないことを告げられてしまいます。

そしてエレマリャは大胆にも寄宿学校を出ていき、大学があるウプサラの街に行くことを決断します。ウプサラの街に大学やお城、そして図書館があることを知っていたのは、クリスティーナ先生がくれた本に書いてあったからでした。

出ていく前、最後に妹と話をしようとします。しかし妹はエレマリャを避け、会話に応じようとしません。そこで妹が一人になったところを狙い、壁に押さえつけて無理やり話をしようとします。エレマリャ、すごい実力行使…!

しかし最後まで妹とは分かり合えませんでした。妹はエレマリャに「みんな姉さんがキライ。さっさと消えて」と吐き捨てます。エレマリャも「あんたは馬鹿なラップ人。自分の将来も考えられない」と罵倒を返します。そして妹は泣いてしまうんですね…妹が静かに涙を流す様にたじろいだエレマリャは寄宿舎の他の女の子たちもその場面を見ていたことに気づき、その場を走り去ります。これっきり、エレマリャが寄宿学校に帰ってくることはありませんでした。

エレマリャは汽車に乗ってウプサラの街に向かいます。汽車の中で居眠りしていた他の乗客の荷物を盗み、洋服に着替え、それまで着ていた民族衣装コルトを脱ぎ捨て火をつけてしまいます。エレマリャがサーミ人である自分と決別することを選んだ決定的な場面です。

ウプサラの街に到着したエレマリャは見たこともないような景色に心躍らせます。石畳の道路、色とりどりの建物、エレマリャが初めて見る都会的な街でした。クリスティーナ先生から貰った本に書いてあったとおり、ウプサラ城や庭園なども見て回りました。これまで憧れてきた場所に遂に立った気分はいかばかりのものだったでしょうか。

そしてエレマリャはあの日パーティで出会った青年ニクラスを頼ります。数日間一緒に過ごしますが、突然訪ねてきた若い女の子をずっと家に住まわせてくれる大人なんてどこにもいません。ニクラスの両親はエレマリャがずっとこの家にいることを許してはくれませんでした。更に「サーミ人よ。何か魂胆があるのかも」「関わっちゃダメ」と囁かれたこともエレマリャの心に刺さったことでしょう。

こうしてニクラスの家を追い出されたエレマリャはウプサラに着いたときに観光した庭園の片隅で野宿するようになります。草むらの陰で眠っている様子がありますが、夏で良かったですね、きっとスウェーデンの冬は軽装で野宿なんてできたものではなかったでしょう。

大学図書館で時間を潰すエレマリャでしたが、図書館の司書に見つかり、大学の生徒と間違われてしまいます。そして何故そうなったのか不思議ですが「新しいクラスメート」として体操の授業を受けることになりました。(本当にどうしてそうなったの!?)

一応スウェーデンの学校教育について調べてみたのですが、日本と同じ6・3・3・4年制で、6月に学年が終わり、8月下旬まで長い夏休み、このあと出てくる場面で2学期の学費を請求されることから春~夏の間にエレマリャはこの学校を訪れたということだとは思いますが…。この学校でもクリスティーナの偽名を使ったりして、そんなに簡単に偽名を使って学校に入学できるものなのか!?と不思議な場面です。

話は戻って本編。体操の授業ではスウェーデン人との手脚の長さの違いが明確に…。

おぼつかない体操の授業を終えて、エレマリャは一応友人のようなものができます。でも通りすがりの人の服装を馬鹿にして笑ったりするような友人ではありますが…。

そして校長から呼び出されたエレマリャは学費の支払いを求められます。青年ニクラスを頼ろうとしますが大金を貸してくれるはずもありません。仕方なく帰る予定のなかったラップランド、家族のもとを訪ねます。そこにはサーミ人として変わらずにトナカイを放牧させて生計を立てている妹や祖父母、怒っている様子の母がいました。

夜になり、母と家族と話をします。学費が必要なこと、自分が父親から相続したトナカイを売ってお金を作りたいこと、それでダメなら父の銀のベルトを売ってお金を作ってほしいこと、サーミ人として見世物として生きていくのは嫌だということ…。最後の言葉を聞いた瞬間、母はエレマリャに「出ていけ」と言い放ちます。

夜を外で過ごしたエレマリャ。妹と母がやってきます。母は無言で夫(エレマリャにとっては父)の形見の銀のベルトを手渡します。そして何も言わずに踵を返して去っていきます。妹もしばらくエレマリャを見ていましたが、ゆっくりと母を追ってエレマリャを置いて去っていきます。

これが家族との最後の別れの場面でした。

少し場面は遡りますが、夜に家族と話をする場面、母に「出ていけ」と言われる前、エレマリャと妹は近くの池で一緒に過ごすんです。エレマリャはスウェーデン人から何度も「サーミ人は臭い」と言われ続けたことで自分が臭いんじゃないかと疑心暗鬼になってしまっているんですね。何度も体や顔を洗う描写があります。そういうわけで水浴びをしているんですが、妹にもおいでと言うのですが妹は「雪解け水なんて…」と億劫な様子。「いいものを見せてあげるから」とエレマリャは妹を池に誘います。この場面ではお互いのわだかまりを一旦置いて、穏やかに会話しているんですよね…。きっと二人はお互いのことが大好きなんでしょうね。たとえ酷い言葉で罵り合ったりして喧嘩別れした形になってしまっていても、また会えたことはこの姉妹にとってはきっと嬉しい事だったんだと思います。

さて「いいものを見せてあげる」と言ったエレマリャ。妹に力を抜いて水面に浮かぶようにさせてあげます。「飛んでるみたいでしょ?」と言って姉妹は戯れるんですね。途中バランスを崩して妹がエレマリャにしがみついて、二人は笑い合うんですね。思い返してみればこれが姉妹で過ごした最後の時間だったんですね…。

どうしてこうやって二人でずっと仲良く生きていけなかったんだろうか。

家族と別れてエレマリャは一人で生きていきます。冒頭の方でエレマリャが「教師をしていた」と語る場面があるので、きっと教師になる夢を叶えたんでしょう。

場面は現在に戻り、老いたエレマリャは人がいなくなった静かな教会に一人で訪れ、安置されている妹の棺を開けます。妹の遺体に頬を寄せ、サーミ語で囁きます。

「私を許して」

エレマリャは教師になる夢を叶えて、自分が嫌った「見世物として、サーミ人として生きること」を拒否して自身をクリスティーナであると偽名を使いスウェーデン人として生きてきました。代償として愛する妹や家族と袂を分かつことになりました。

エレマリャはサーミ人のことを「物盗り」「嘘つき」「口を開けば文句や愚痴ばかり」と評していますが、それは全て自分が行ってきた行為なんですよね。汽車の中で乗客の荷物を盗んだし、自分をクリスティーナだと名乗ることは嘘つき以外の何物でもなく、青年ニクラスの母には嘘を並べて家に入り込んだ。

これは完全に想像の域を出ないのですが、エレマリャはサーミ人として差別を受けることを拒否する気持ちと同時に、サーミ人でなくなればそういう自分の嫌な部分とも決別できる気がしていたのではないかと思ってしまいます。先生の期待を裏切ってしまう自分が嫌、妹に嫌な言葉を投げつけてしまう自分も嫌、物を盗む自分も嫌、新しい自分に生まれ変わるんだ、と。

エレマリャは夢を叶えたけれど、後悔していたと思います。映画の随所に散りばめられた妹との優しく穏やかな描写は、エレマリャの後悔を描いていたんでしょう。家族と関係を保ったまま、教師になる夢を叶える道は無かったのだろうか…。差別がそうさせたんだろうか。

本編の感想は以上で終わりです。

 

 

 

ここからは蛇足です。

サーミ人は北方の先住民族です。日本にも北方の先住民族アイヌが存在しますね。少しサーミ人について調べてみました。

サーミ人は主にフィンランド、スウェーデン、ノルウェー、ロシアに存在するサーミ語を話す先住民族のことです。その歴史は古いものの、1800年代以降、特に1900年に入ってからは文化的に存続の危機に立たされた時代もあったようです。政治的に無視され立場が弱くならざるを得なかったり、困難な時代がありました。今はサーミ人の議会や代表団を設け、政治的立場を確立するまでになっている様子。

差別の描かれた映画ですが、この映画の時代は1930年代です。しかし2021年の今は差別の状況はどうなっているでしょうか?悲しいことに昨今特にこの「差別」に対する注目度が高まっている現状があると言わざるを得ないでしょう。

2020年はBLM運動(黒人の命も大事)が全米で巻き起こりました。

そしてコロナウイルスが全世界で猛威を奮う中、去年からアジア人に対する犯罪が増えていますが、今年2021年は特に加速しています。アメリカで電車に乗っていただけのアジア人男性が黒人男性にボコボコに殴られている映像がニュースで入ってきました。また、カフェでお茶していただけのアジア人の女性が黒人の女性に殴られたり、アジア人が働いていたマッサージ店で銃による大量殺人事件が起こったりしています。

差別を取り巻く現状は悪化しているし、今後もしばらくは良くはならない気がします。コロナウイルスで個人のレベルでも企業のレベルでも国家のレベルでも余裕のなくなっている人々は寛容さを失ってしまっています。自分を守ることで精いっぱいで他人、更に言えば人種も違う者を思いやる気持ちなど失ってしまい、不満や不安から他者に攻撃的になる者さえいる始末です。

虐げられていたサーミ人が長い年月を戦い抜き、自分たちの民族としての立場を確立させたように、この差別の歴史の上により良い未来が作られていくことを願わずにはいられません。

2021.05/02

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